小鹿田焼と聞いて、まず頭に浮かぶのは、「飛び鉋」あるいは、菊の花びらを思わせる「打ち刷毛目」の模様であろう。 小鹿田焼には、そのほかにも「指描き」「櫛描き」「打ち掛け」「流し掛け」等の装飾技法がある。江戸中期から続いてきた装飾技法としては、飴釉や黒釉を単味で全体に施したものがほとんどであるが、意識的に複数の釉薬によって装飾されたものとしては、特に「打ち掛け」と「流し掛け」をあげることができる。 大正末期から昭和初期にかけてこの地で行われ始めた「飛び鉋」と「打ち刷毛目」の技法はその後普及し、小鹿田焼を代表する意匠になった。今では、小石原焼にまで波及し、同じ模様のものが作られている。
この皿鹿田皿山には、集落を囲む周囲の山際に豊富な陶土の層がある。この小鹿田の土の性質は、きめが細かく、耐火度はやや低く、腰が強く粘りもあるが、伸ばしにくい難点がある。鉄分をかなり含む為、焼成後黒味を帯びる。
採集した土は各窯元の小屋に運び、十日前後乾燥させ、唐臼で打たせ粉末にする。唐臼での飛散防止の為、少し湿気が残った状態で唐臼にかけて約十日間打たせ続ける。年中休み無く働く唐臼で搗かせた陶土の二ヶ月分が、窯元一軒の一窯分の製品を造る料である。
また、小鹿田の全ての窯元により、唐臼によって搗かれた土のみを使用する取り決めがなされており、このことによって唐臼は小鹿田皿山の伝統的製作工程を左右する元雄も重要な要素になっている。
唐臼で細かく粉砕された陶土は、精製用の水槽に入れ、水簸を行う。はじめに細長い水槽にいれ、充分水に溶け込むようにして泥水にし、時々攪拌する。 充分に攪拌された泥漿は中舟の両側の水槽に移される。
この製法は全国同じであるが、ほとんどの所が機械を導入しており、一部の作業を除き、このような手仕事のみで行っている所はごく小規模の個人を除き、集団では他に無い。 ここまでの工程で約一ヵ月かかり、一窯分の土を用意するには二ヵ月を要する。この様にして仕上げられた陶土は、轆轤成型作業場の隅に積み上げられて色々な形に作られていく。
菊練で練り上げた陶土の塊を轆轤の盤上に据え、両手で叩いてしっかりと盤にくっつけ、山形に形を整えて作り始める。轆轤で作ることを、轆轤で引くという。小鹿田の土はきめが細かく、収縮性も高い為割れやすく、この方法では特に土を締めにくい底部がよく割れる。以前は苦労していたが、改善のために導入されたのが「玉作り技法」である。
この技法は昭和三十年以降小鹿田皿山で普及した。これは一つ分の土をあらかじめ団子にし、一番弱い底部になる部分が十分しまる様に上げさげを行った後水引する。
この技法は電動機械轆轤では難しく、まさに蹴轆轤ならではの技である。特に大皿、大壺の製作には相当の熟練を要する。陶工全員がこの技を使いこなしている小鹿田皿山は実に見事と言うほか無い。 ます、壺などの底部になる部分を十分いに叩き締める。次に粘土を太い紐状にし、左手に練りつけるように圧迫しつつある高さまで積み上げる。ネルなどの布を用いて成型する。
轆轤で成型した器は、一〜三日程度天日や陰干しで乾燥させる。半乾きの状態のとき、底部を削り、高台を作り出す。水差しやコーヒーカップなどのように取っ手の必要な物には、高台を削り出した直後に取っ手を付ける。接合部に水や泥漿を塗り、くっつける。
これは素地に白化粧を施した直後に素早く指で描く技法であり、古くから九州各地にある。特別な道具を用いず、文字通り指で描くのであるが、やり直しがきかず、一気に行うため確かな構成力と機転が必要である。
素地に直接又は白化粧した上から、手製の、短い櫛状の道具を用いて描くが、器を静止させたまま櫛を筆のように使用する方法と、轆轤で回転させながら櫛を揺らすように動かすだけで描く方法がある。素地がやや硬めの半乾きの時に行う。